最高裁判所大法廷 昭和31年(し)32号 決定 1958年2月10日
主文
原決定及び札幌地方裁判所の決定を取消す。
本件執行猶予取消請求はこれを棄却する。
理由
抗告人及び抗告代理人弁護士広井淳の特別抗告理由について。
刑法二五条によれば、執行猶予の要件を具備しない者に対しては、執行猶予の言渡ができない。しかし、かかる執行猶予の欠格者に対しても、欠格事由の存在を知らないで執行猶予の言渡をなすことが必ずしも絶無ではないから、刑法二六条三号は執行猶予の言渡をなし得ない者であることを知らずして執行猶予の言渡をした場合には執行猶予の言渡を取消すべきものと定め、その取消請求権を検察官に与えたのである。(刑訴三四九条)。しかしながら、検察官において、判決言渡後、その確定前に、被告人が執行猶予の欠格者であることを覚知したときは、その有する上訴権を行使すべきであり、検察官は、その任務を遂行することによって、執行猶予を阻止できるわけであるから、検察官において、執行猶予の欠格者であることを覚知しながら、上訴申立をなすことなく、執行猶予の言渡を確定させたときは、検察官はその取消請求権を失い、従って、裁判所も、その請求を許容して執行猶予の言渡を取消すことを得ないものと解するを相当とする。されば刑法二六条三号は、検察官において、上訴の方法により、違法に言渡された執行猶予の判決を是正する途がとざされた場合すなわち、執行猶予の判決確定によって進行を始めた猶予期間中に、「猶予ノ言渡前他ノ罪ニ付禁錮以上の刑ニ処セラレタルコト」が、検察官に発覚したとき検察官において、執行猶予の取消請求ができるという趣旨と解すべきである。
しかるに、原決定の確定した事実によれば、抗告人渡辺正蔵は、職業安定法違反被告事件につき札幌地方裁判所小樽支部において、昭和三〇年二月二一日、懲役六月の言渡をうけ、該判決は、昭和三一年一月五日確定し、次いで詐欺横領被告事件について同じ裁判所において、昭和三一年一月一三日懲役一年執行猶予三年の言渡をうけ、該判決は同月二八日確定したものであるが、札幌地方検察庁小樽支部は右後者の判決確定前である昭和三一年一月二〇日、右前者の裁判確定の事実を覚知したというのであるから、本件執行猶予言渡取消請求は、上叙の理由により、もはやこれを許容することのできない筋合にあったものといわざるを得ない。さすれば、これと相反する判断をした原決定および第一審決定は当裁判所昭和二四年(つ)第八七号同昭和二七年二月七日第一小法廷決定の趣旨に抵触するが故に、ここにこれを取消し、本件請求はこれを棄却すべきものと認むべきであって、本件特別抗告は結局理由あるに帰する。
よって、爾余の抗告理由に対する判断を省略し、刑訴四三四条、四二六条に従い主文のとおり決定する。
本決定は裁判官田中耕太郎、同小谷勝重、同斎藤悠輔の反対意見裁判官真野毅、同垂水克己、同奥野健一の意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官田中耕太郎、同小谷勝重、同斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。
多数説は、先ず「刑法二五条によれば、執行猶予の要件を具備しない者に対しては、執行猶予の言渡ができない。しかし、かかる執行猶予の欠格者に対しても、欠格事由の存在を知らないで執行猶予の言渡をなすことが必ずしも絶無ではないから、刑法二六条三号は執行猶予の言渡をなし得ないものであることを知らずして執行猶予の言渡をした場合には執行猶予の言渡を取消すべきものと定め、その取消請求権を検察官に与えたのである(刑訴三四九条)」。といっている。
しかしながら、立法者は、刑の執行猶予の取消条件として刑法二六条三号だけを規定しているのではなく、同条一号、二号をも規定しているのであって、同二号の規定は、既に同一初犯者に対し猶予の言渡前に犯した他の罪につき刑を執行する以上猶予した禁錮以上の刑をも執行するのを相当としたので(刑法二六条の三参照)ある。そして、同条三号の規定は、同条二号の規定とその趣旨において大差はない。すなわち、同条三号の場合は、同条二号の「猶予ノ言渡前ニ犯シタル他ノ罪ニ付キ禁錮以上ノ刑ニ処セラレ其刑ニ付キ執行猶予ノ言渡ナキトキ」の一の場合であって、その異なるところは、三号の場合は、他の罪につきなされた禁錮以上の刑の判決が猶予の判決言渡前確定しているというだけであり、従って、その猶予の言渡は、欠格者に対してなされたことになるというだけのことである。
そもそも、執行猶予の言渡並びにこれが取消のごときは、刑そのものに対する本案手続ではなく、本案において言い渡された刑の執行に関する特別手続である。そして、執行猶予の言渡については、わが国において執行猶予制度が最初に認められた明治三八年法律七〇号刑ノ執行猶予ニ関スル法律三条一項において、検事の請求に因り又は職権を以て刑の言渡と同時に判決を以てこれを言い渡すべき旨規定し、同条二項において、刑の言渡あった後においてはその言渡をなした裁判所が検事の請求に因り又は職権を以て執行猶予の決定をすることができるものとし、同法四条において、検事は刑の執行猶予の裁判に対しては刑事訴訟法の規定に従い上訴を為すことを得る旨規定し、現行刑法制定の際刑法二五条に執行猶予の条件についての実体規定を取り入れると共にその言渡手続については、刑法施行法五四条に前記法律三条一項の規定に相当する規定だけを移し同条二項のごとき規定は廃止し、さらに旧刑訴三五八条二項は右刑法施行法五四条の規定を承継し、それが現行刑訴三三三条二項となり、結局執行猶予の言渡手続は、全く本案附随の判決手続となって、これに対する不服は本案と共に上訴する外に方法がなくなったのである。
しかるに、刑の執行猶予の取消に関する刑法二六条の規定は、立法者が適当と認めて規定した刑の執行猶予を取り消すべき条件を定めた実体規定であって(その違憲でないことは奥野裁判官の補足意見のとおりである。)、多数説のいうがごとき刑法二五条の要件を欠く裁判の言渡を是正するための規定ではない。違法又は不当な執行猶予の言渡に対しては、わが国の刑訴では最初から上訴だけを許すに止ったのである。これに反し刑の執行猶予の取消に関する条件については前記刑ノ執行猶予ニ関スル法律六条においてこれを規定し、現行刑法制定の際多少の修正を施して刑法二六条として取り入れ、その取消手続については、前記法律七条において、刑の執行猶予の取消は刑の言渡を受けた者の所在地を管轄する地方裁判所において検事の請求に因りこれを決定すべく、この決定に対しては刑事訴訟法の規定に従い抗告を為し得る旨規定し、この規定は現行刑法制定の際多少の修正を施して刑法施行法五六条に移され、次で旧刑訴法制定の際三七四条に同趣旨の規定として移され、これが現行刑訴法三四九条となったのである。
されば、執行猶予の取消手続は、多数説の説くがごとき違法な執行猶予の判決に対する上訴手続とは全然関係がない。しかも、上訴は権利であって義務ではない。執行猶予の判決に対して上訴権を行使しなかったからといって、これが取消手続における取消請求権を喪失する理由がない。ことに現行刑訴では、第二審の刑の執行猶予の判決に対しては、多数説のごとき理由の上告は、適法な上告として許していないのである。果たして然らば、多数説が結論として、「されば、刑法二六条三号は、検察官において、上訴の方法により、違法に言渡された執行猶予の判決を是正する途がとざされた場合、すなわち、執行猶予の判決確定によって進行を始めた猶予期間中に、「猶予ノ言渡前他ノ罪ニ付禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト」が、検察官に発覚したとき検察官において、執行猶予の取消請求ができるという趣旨と解すべきである。」といっているのは、その根本において執行猶予の言渡に対する不服手続とこれが取消手続とを混同する致命的な誤があるばかりでなく、少くとも、(一)違法に言渡された執行猶予の判決に対してはわが刑訴法上検察官は常に控訴のほか上告をもなしうるものであって、しかも、控訴、上告をしなければならない任務があるとすること、(二)刑法二六条三号には同条一号と異り「猶予ノ期間内」なる法文の字句がないのに勝手にかかる制限を附すること、(三)法文に明記する「猶予ノ言渡前他ノ罪ニ付禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト」なる客観的事実には少しも重点を置くことなく、ただかかる客観的事実の発覚の時期がたまたま猶予の判決確定後であるという偶然の事由に重きを置くという三つの誤があるものといわなければならない。
本件に関する裁判官真野毅の意見は次のとおりである。
わたくしは、刑法二六条三号の規定は、憲法三九条後段に違反し無効である、と常づね考えている。
憲法三九条後段は、「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定している。それゆえ、一つの犯罪について、ひとたび刑罰が科せられ、その裁判が確定した場合においては、その後に至り同一の犯罪について、重ねて刑を加重することは許されないものといわなければならぬ。
そこで、本件被告人は一つの犯罪について、懲役一年、三年間執行猶予の刑に処せられ、その裁判が確定した後に至って、右裁判言渡前他の犯罪につき懲役六月に処せられたことが発覚したという理由で、前記執行猶予の取消の裁判(決定)があった。本件は、この取消決定に対する特別抗告事件である。
物事をただ形式的・観念的に考えれば、刑の執行猶予の言渡は、刑そのものの言渡しではなく、単に刑の執行に関する形態の宣告に過ぎないと見られるであろうが、実質的・法社会的な価値判断においては、刑そのものと同等ないしそれ以上の高い評価がなされていることは社会の現実である。大法廷もすでにこの見地に立って、禁錮三月の実刑は懲役六月、三年間執行猶予の刑より重い旨を判決で明らかにしている(判例集五巻九号一七一五頁)。
すると、一つの犯罪につき執行猶予の言渡された刑が確定した後に、執行猶予の言渡を取消すことは、前述の重ねて刑を加重することになり、憲法三九条後段に違反するわけである。ただ執行猶予の制度は、刑事被告人の改過遷善を期するために、刑事政策上設けられたものであって、判決確定後における執行猶予の言渡の取消は、結局執行猶予制度の本来の目的に合致する限りにおいて、公共の福祉という見地から前記憲法三九条後段の適用を制限し得るものというべきである。それゆえ、米国におけるように裁判官が、各個の具体的裁判において執行猶予を言渡すと共に、当該被告人に妥当するようにある行為を命じまたは禁じ、将来その指示に違反する場合に執行猶予の言渡が取消される旨を宣言し、裁判官の指示違反の場合にこれを取消すことは、許されてよい。それは、裁判の内容自体に従って取消すものであり、最もよく執行猶予制度の精神に合致するからである。またかような裁判官の具体的指示違反の方法によらず、刑法二六条一号のように一般的に将来さらに犯した罪につき刑に処せられた場合に執行猶予の言渡を取消す旨を定める規定を設けることは、許されてよい。それは、執行猶予言渡の裁判に一般的につけられた法定条件に従ってその言渡を取消すことになるのであり、その法定条件は刑事被告人の改過遷善を期する執行猶予制度の目的に合致するからである。
しかし、本件で問題となっている刑法二六条三号は、「猶予ノ言渡前他ノ罪ニ付キ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト発覚シタルトキ」猶予を取消すべきことを定めたものである。前述のとおり執行猶予制度の目的は、被告人の改過遷善を期するにある。改過遷善というからには、判決言渡後の将来にわたって少くとも一定の猶予期間中、判決自体または法律において定められた一定の悪行をなさしめないことを期するのである。すなわち、目的は将来の悪行をなさしめないことであって、過去の他の悪行をとがめ立てすることではない。また、判決の言渡前、他の罪につき刑に処せられたことすなわち前科の有無は、本来判決言渡前当該事件の審理において十分に調査さるべき事柄である。憲法上黙秘権を認められている被告人は、当然前科について自ら進んで供述をしないことが許されている。それだのに一旦判決が確定した後になって、前科のゆえに猶予の言渡が取消されるというのでは、調査の過誤の責任を、却って被告人に転嫁せしめる結果となるわけである。さらにまた、前科のゆえに猶予の言渡が取消されるというのでは、折角執行猶予をうけた被告人も早かれ遅かれどうせ猶予は取消されると思い込んで、自棄に陥り改過遷善の実をあげる熱意を欠くことであろう。
あるいは、刑法二六条三号の事由によって取消されることは、判決の当初から予定されている法定条件だから、違憲にならぬという見解があるかも知れない。しかし、これは全く形式的な議論で、当初から予定されている法定条件ならば、その実質のいかんを問わず確定判決の刑を動かしても違憲の問題を生じないということはできない。例えば、(一)証人が偽証したことが明らかになった場合は、確定した無罪判決を変更して有罪判決をすることができるとか、(二)犯罪の情状を重くするような証拠が発見された場合は、確定した有罪判決を変更してさらに刑を加重することができるとか、法律に規定がかりにあるとすれば、それは当初から予定されている法定条件であるということはできるが、法定条件だからといってさらに前記のような有罪判決をしまたは刑を加重する裁判をすること、並びにかかる法定条件を定める法律規定そのものは、憲法三九条違反となることは疑ないところであろう。論者のように法定条件だから違憲にならぬという議論は、せんじつめると法律に定められているから違憲にならぬというのと同じことであって、全くナンセンス以外の何物でもない。大切なことは、法定条件という形式にあるのではなく、法定条件すなわち法律規定の内容が、公共の福祉の見地からして確定判決を動かすに足る実質的価値を有するか否かによって、合憲か違憲かが決せられるのである。(刑法五八条は、「裁判確定後再犯者タルコトヲ発見シタルトキハ、前条ノ規定ニ従ヒ、加重スベキ刑ヲ定ム」と規定したが、新憲法施行後間もなく削除された。本件で問題となる刑法二六条三号の規定も、全く同種のものであるから、同一の理由により同時に削除さるべきものであった。が、不思議に目こぼしのため、今日まで形式的に残存しているに過ぎないことを注意されたい。今や刑法改正の議があるが、こんどこそ当然削除さるべきである。)そこで、以上のような考え方によれば、刑法二六条三号の規定は、前述のように執行猶予制度の目的に合致せず却ってこれに背反するものであって、憲法三九条後段の適用を制限してまで猶予の取消を認むべき公共の福祉性はどこにも存在しない。結局わたくしは、刑法二六条三号の規定は、憲法三九条後段に違反し、したがって同号の規定を適用した原決定および第一審決定は違憲であるから、本件特別抗告は理由があり、原決定および第一審決定を破棄し、本件執行猶予取消請求を棄却すべきものと考える。わたくしの意見は、多数意見と結論は同じであるが、違憲論を採るが故に理由は異る。さらに、判例集七巻六号一四二一頁以下、昭和二三年一一月一〇日大法廷判決(第一、二巻索引末尾登載)において述べた少数意見をも引用することとしたい。(なお、憲法論を離れて、法条の解釈をするとすれば、多数意見の見解が正しいと考える。)
裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。
本件の場合執行猶予の言渡を取り消すべからざるものとする私の結論は多数意見と同じであるが、私の理由に至っては大いに異り、私は刑法二六条三号は違憲だからだというのである。
(一) 憲法三九条は、一旦或具体的行為について無罪若くは有罪の確定判決を受けた者は二度と同じ行為によって刑事責任の有無若くは軽重の問題についてその確定判決を本人の不利益に変更すべきであるとして裁判に付されることはないことを保障したものである。無期刑を言い渡した判決確定後それが軽きに失するから死刑に処すべきだとして再び審判を求められるようなことはない。被告人に禁錮以上の前科のあることを認めないで刑の執行猶予を言い渡した判決の確定後、かような前科のあった事実が発覚したときは猶予の言渡を取り消すことができるとする刑法二六条三号は、とりも直さず、確定判決に前科を見落した事実誤認の瑕疵あることを理由として確定判決における猶予の言渡を取り消し実刑を執行すべきものとする被告人に不利益な裁判を求めることを許す規定であるから、憲法三九条後段に違反する。この理由から原決定は破棄を免れない。これが私の意見の要旨である。
(二) 憲法三九条後段が「何人も……同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない。」という意味は、二度と刑事責任の有無または範囲(刑罰の態様分量)について問責されることはない、換言すれば、人は同一の犯罪について二度と刑事責任があるとして、または刑事責任の範囲(宣告刑)を本人の不利益に変更すべきであるとして裁判(憲法三一条、三二条、七六条)に付される(危険な立場に立たされる)心配はない、ということである。一旦有罪の確定裁判があった後でも再審(刑訴四三五条)して無罪を宣告し、或は大赦、減刑、刑の執行の免除(憲法七条六号、七三条七号)を宣告し、或は行政的審査によって仮出獄(刑法二八条、すなわち一部不執行)をするような本人の利益のための変更は差支ない。けだし、いくら有罪判決が確定しても真犯人でない顕著な証拠が現われたような場合本人に刑罰を科すべきでないことは正義の要求であり、また、大赦等をしてもよいことは東西の伝統と法律感情の肯定するところであり、その他確定判決を本人の利益に変更することは裁判をみだりに行政処置によって変更するような、三権分立の本義を没却しない限り或は裁判の確定力を無意義のものとしない限り、条理上許されてよいからである。だから懲役刑が確定した者はもはや同一犯罪行為でこれより重い刑に変更され或は、その服役を終ってから未だ改過遷善されていないとの理由から更に刑を追加されることもない。要するに、一旦或具体的行為について無罪若くは有罪の裁判を受けた者は二度と同じ行為によってその裁判を不利益に変更すべきであるとの請求により、不利益裁判を受けるかも知れない防御者の地位(二重の危険)に立たされることはなく(訴訟法的にはかような請求は不適法とさるべきであると憲法はいう)、本人の不利益のためには同一事件は再び審理されない(一事不再理)。その結果同一事件で実体的に二重処罰を受けないこととなる。つまり、一定の刑を言い渡す裁判は同時に被告人に対し国はそれ以上の重い刑罰を科する権利を持たずまた将来も持ち得ないことを宣言するものである。以上が憲法三九条の理念であると考える。
だから、再審請求により無罪の確定判決を取り消して新に有罪判決を言い渡し得るとした旧刑訴法四八六条(昭和二四年から廃止)や、裁判確定後再犯者たることを発見した場合に再犯加重決定をすることができるとした刑法五八条(昭和二二年一〇月二六日法律により削除)は憲法三九条に違反する。これらが新憲法の施行に伴い廃止されたのは憲法同条の趣旨からいって当然である。なお、現行非常上告制度(刑訴四五四条)は、確定判決が法令に違反しているからこれを破棄してそのことを明かにする正しい判決をすべきであるとして同一犯罪事件について被告人が再度裁判に付され防御者たる地位に立たされるものではあるが、再度の裁判が被告人に効力を及ぼさず(同四五九条)被告人の不利益とならないものとされていて、単に名分を正すに過ぎない性質のものであるから、憲法三九条に違反しないと考えられる。
つぎに、憲法三九条が「無罪とされた」というのは「裁判によってもはや争い得ないように有効に無罪とされた」すなわち「条理上でも、また世界のいずれの訴訟法上でも認められる確定力ある裁判によって」との意味であり、「同一の犯罪について」というのは同様の意味で「確定力ある裁判によって犯罪とされた行為と同一の行為」との意味である。けだし、有罪裁判宣告後上訴期間中は、その裁判はそのまま確定するか或は上訴によって争われた結果「無罪」その他如何なる裁判がされるかどうか浮動未確定の状態に置かれるというような、一般立法例に見られる如き訴訟法が制定されることがあり得べきことを憲法は予想していると考えられるからである。当裁判所判決(昭和二四年新(れ)二二号同二五年九月二七日大法廷判決、集四巻九号一八〇五頁)が「元来一事不再理の原則は、何人も同じ犯行について、二度以上罪の「有無」に関する裁判を受ける危険に曝さるべきものではないという、根本思想に基くことは言うをまたぬ」というのは罪の「軽重」に関する裁判ならば二度以上これを受ける危険に曝されてもよいとの意味を判示した趣旨とは解せられない。これは、判決は言渡されただけで確定をまたずして検察官上訴により被告人の不利益に変更されるべきものではないとする論旨に対し「同じ事件においてはいかなる段階においても唯一の危険があるのみであって、そこには二重危険(ダブル・ジェパーディ)ないし二度危険(トワイス・ジェパーディ)というものは存在しない。」(私は右の理由からこれに賛成である)ことを判示するに当っての一般的説示と解すべきものである。
(三) 現行執行猶予制度の根本趣旨は、裁判所が一定の軽い刑を言い渡すに際し、被告人が最近数年間或程度の重い刑に処せられた経歴を持たない者(執行猶予資格者)であるときは、裁判確定の日より一定の期間刑の執行を差し控え、若し被告人が猶予期間内に更に罪を犯しよって或程度の刑に処せられ(刑法二六条一号、二六条ノ二第一号)または重い保護観察中の遵守事項違反をした(同二六条ノ二第二号)ときは猶予の言渡を取り消すことができるが、しかし、若し猶予を取り消されないで無事期間を経過したときは刑の言渡は効力を失い(同二七条)刑は執行されず、刑の言渡は爾後なかったものとして取り扱われるという条件附刑の言渡をするにある。そのネライとするところは、被告人が言渡後、実刑を受けることの脅威とこれを免れることの希望の下に少くとも猶予期間内に犯罪を犯しよって或程度の刑に処せられることのないように改過遷善を促がすにある。すなわち、執行猶予の裁判は被告人が一定期間内一定の重さの犯罪をしないことそしてこれによって一定の刑に処せられないこと若くは重い遵守事項違反をしないこと(同二六条一号、二六条ノ二第一号及び第二号)という将来の行為を条件とするところに本質があるのである。
しかるに刑法は執行猶予の言渡を受け得べき資格(二五条)を定めるほか、執行猶予を言い渡した判決確定後に一定の事由が発生したときにも猶予の言渡を取り消し得べきものと定める。その第一は二六条二号の場合、第二は本件問題の二六条三号(並びに同趣旨の二六条ノ二第三号)の場合である。私の結論から先にいえば、第一の二六条二号は合憲であろうが、第二の二六条三号は違憲である。
先ず二六条二号を見よう。同二号にいう「猶予の言渡前に犯した他の罪について禁錮以上の実刑に処せられたとき」というのはどんな場合に起るか。それは執行猶予の確定判決のあった罪(以下「本罪」という)とは別の被告人の犯した「他の罪」(それは本罪より前に犯されたものでも後に犯されたものでもよいが、猶予の確定判決前に犯されたもの、以下「別罪」という、「余罪」ともいわれる)が本罪と分離して審判された場合に起る。本罪を審判する裁判所(部)は、別罪が起訴されず若くは他の裁判所に起訴されている限り、或は自分の裁判所(部)に起訴されても本罪と別々に審理中である限り、被告人が別罪を犯したことの事実認定及びこれについての犯罪成否の判断や刑の量定を本罪についての判決中にすることは許されない(不告不理)。これは執行猶予の確定判決において審理すべかりし事項とはいえまい。従って、たとえ本罪の審理中別罪が発覚したと観られるのに、裁判所がこれについて訴訟係属がないため犯罪事実を認定しなかったとしても、別罪を見落した事実誤認があるということはできない(このことを銘記せよ)。そこで本罪のみについて執行猶予を言渡しその判決確定後、執行猶予期間内に(別件で適法手続により被告人に十分防御方法を講ぜしめて審理した結果)別罪が犯罪として確定されこれについて禁錮以上の実刑が宣告されこの判決が前記猶予期間内に確定するということが起るのである。この後者の判決によって、被告人が前記猶予判決前にした或行為が犯罪であってしかも禁錮以上(の実刑)に値するものであったことが始めて有権的に確定された、換言すれば、猶予期間内に始めて「被告人が執行猶予に値しなかった」事実が確定的に判明したということになるのである。とも角、かように別罪が本罪の前に犯されたにせよ本罪後に犯されたにせよ、それが本罪についての猶予判決確定前に犯され、しかもそれが禁錮以上の実刑に値することが猶予期間内に確定された以上、執行猶予は不相当であるからこれを取り消すべきものである、とするのが二六条二号の趣旨である。すなわち、同号は猶予の言渡は猶予期間内の被告人の行状の良否とは別の、かような事後判決によっても取り消される運命を初から持つものとして規定する立法であって、これは猶予期間内の被告人の改過遷善を促がす役には立たないが、後になって執行猶予に値しないことが判明した被告人に対し執行猶予を与えていた失当を是正し、よって本人及び世の中の犯罪傾向者に対し犯罪を繰り返す者には余り執行猶予の恵沢を受けさせないことを知らせる上には意義なしとしない。
兎に角、この場合、執行猶予の判決確定後に生じた事由(別罪についての判決)によって執行猶予の確定判決を被告人の不利益に変更することにはなるが、同号は憲法三九条に違反しないといえるであろう。けだし、執行猶予判決主文における「被告人を懲役何年に処する、但しこの判決確定の日から何年間右刑の執行を猶予する」という文言には当然次の趣旨が包含されているのであって、裁判所は次の趣旨を判決理由中で或は法廷で説示してもよいのである。「被告人が今後猶予期間内に更に罪を犯し同期間内に罰金以上(刑法二六条ノ二第一号、二六条一号)の刑に処せられまたは保護観察中の遵守事項の重大な違反(二六条ノ二第二号)をするならば、この刑の執行猶予の言渡は取り消されこの刑は執行せられるかも知れないから、左様な罪や違反を犯さないようにせよ。尤も左様な罪や違反を犯さなくても、この判決確定前に犯した他の罪(それは別件として裁判所に起訴されたものまたは未だ起訴されないもの)について猶予期間内に禁錮以上の実刑に処せられその判決が確定した場合にもこの執行猶予の言渡は取り消される。本件のほかにその程度の重い犯罪があることが確定した以上執行猶予をすることは不相当だからである。しかし、猶予を取り消されることなくして無事猶予期間を経過したときは刑の言渡は効力を失い、刑は執行されない。」と。執行猶予の趣旨を格別説明しなくても右の趣旨は法律上当然「刑の執行猶予」の効果として規定されているのである。従って被告人が猶予期間内に別罪による禁錮以上の実刑の確定判決を受けたという事実も執行猶予判決において初めから定められた条件であるから、所定条件の成就による執行猶予取消決定(刑訴三四九条の二)は何等猶予判決の瑕疵を原因として猶予判決そのものを変更するものではない。その点では猶予期間内の被告人の新なる犯罪による猶予取消の場合と選ぶところはない。昭和二六年(し)五五号同年一〇月六日第二小法廷決定(集五巻一一号二一七三頁)が二六条一号に関して説示したところは二号についても妥当すると思われる。
注意すべきは、本罪についての執行猶予判決確定前に犯した別罪について禁錮以上の実刑が言い渡されたことは、決して執行猶予判決をした裁判所が別罪があるのにこれを見落した事実誤認という瑕疵があることを示すものではないことである。前にもいう如く、執行猶予をした裁判所は別罪が未だ起訴されず或は他の裁判所に起訴されたため或は自分の裁判所に係属しているが本罪と分離審理されているためその事実認定をすることが法律上許されないため、または不可能なため、あえて別罪を度外視して本罪だけについて犯罪の成立を認め量刑したからである。本罪量刑の際には被告人に前科があるか否かをも審理すべきであるとしても、当時は別罪は未だ有罪判決がないため前科となっていなかったのである。
(四) しかるに、本件問題の刑法二六条三号は憲法三九条に違反する。同号は「……猶予の言渡前他の罪につき禁錮以上の刑に処せられたること発覚したるとき」は猶予の言渡を取り消すべきものとする。しかし、これは、被告人が前に別罪について禁錮以上の刑に処せられた前科事実(同二五条一項一号または二号)のあることを認定しないで被告人に猶予を言い渡した確定判決がかような前科事実を見落した事実誤認をしている瑕疵あることを理由として、その確定判決における猶予の言渡を取り消すことを許す規定であるから、確定判決を被告人の不利益に変更するものにほかならず憲法三九条に違反するものというしかない。憲法同条からいって、かような事実誤認を執行猶予取消原因としてはならないのである。けだし、猶予の言渡の取消によって被告人は刑の言渡が効力を失う利益を奪われ実刑を執行される苦痛を受けるからである。被告人が別罪について禁錮以上の刑に処せられたという事実は犯罪構成事実ではないが、猶予を言い渡し得べき刑法上の要件を欠くものとされる原因たる事実である。猶予を言い渡した裁判所はかような前科事実の存することについて(1)証拠方法が裁判上に顕出されなかったためこれを認識しなかったか(2)顕出されてもそれに気がつかなかったか(3)或はその証拠が真実であるとの確信が持てなかった(例えば前科調書は同名異人の疑があると見た)かのいずれかに違いない。しかし、いずれの場合にせよ、裁判所は猶予を言い渡した以上、これを言い渡し得ない法定の欠格事由がないかどうかについて取り調べた上((1)の場合でも「前科見当らず」との前科回答書を措信する場合がある)、前科ある事実が真実であるならば、これらの場合はすべて裁判所が前科事実を見落したことの事実誤認をしたものということができる。(右前科事実は罪となるべき事実でないから刑訴法三三五条により判決に判示するを要しないが、「前科の判示がないからといって、判決が前科なしと認定したものといえなく、その判決には事実誤認はない」という考え方は、憲法論の前提としては当を得ない)。しかし、裁判の確定ということの何であるかを少し考えて見るならば右三号の規定が確定判決不利益変更禁止を(例外を認めずに)厳命する憲法三九条に違反すること明らかである。常習賭博(法定刑は懲役のみ)を認定して罰金を言い渡し、心神耗弱(法律上減軽のみ)を認めてこれを理由に無罪を言い渡したような法令適用の誤が判決面で明白な場合でさえも、一旦判決が確定したらこれを是正することは不利益変更となるから許されないことは今日の法律常識であろう。また単純賭博と認定し或は心神耗弱と認定した確定判決或は被害全額を弁償したからとの理由を示して酌量減軽した確定判決は、実は、常習賭博であり、心神正常である事実を誤認したものであると主張し、或は全額弁償を受けた旨の証書は被害者から喝取したもので弁償を受けたとの認定は事情を誤認したものであると主張してこれら確定判決の是正を求めることも同様許されない。また、執行猶予は三年以下の懲役等を言い渡す場合でなければ言い渡せないのに「被告人を懲役四年に処する、但しこの判決確定の日より二年間右刑の執行を猶予する」との判決が確定したら、もはやこの判決面で一見明白な違法もこれを是正することは不利益変更になるから許されない。けだし、確定判決を再三変更することを許すならば確定判決で確定された権利関係(被告人に対する国の刑罰権の有無及び範囲)は浮動して安定する期なきに至るから、裁判の確定の制度は権利関係の安固のために欠くべからざるものであり、少くとも被告人に利益な裁判の誤謬はあきらめてしまうしかないという訳である。かようなことは今更説くまでもなかろうと思う。しかるに被告人に前科ある事実を見落して猶予を言い渡した判決が確定した後、見落したことの事実誤認(これは普通判決面に現われない隠れた瑕疵に過ぎない)に基く法令違反を主張して右確定判決を不利益に変更し猶予の利益をなくする裁判を求めることを許す刑法二六条三号の規定は右に挙げた諸例に比しても著しく不均衡に確定判決不利益変更の鉄則を破るものである。すでに再犯加重決定や不利益再審が廃止されている今日、右三号の規定が命脈を保っているのは憲法三九条のなかった旧憲法思想とその下での立法の沿革が未だものをいっているからではなかろうか。元来三号の規定は本質上執行猶予制度でもなくまたこれに附随せしめられるべきでもない事項を規定するものであって、「自己に不利益な供述を強要されない」(憲法三八条一項)筈の被告人が、猶予期間中如何に改過遷善しても、過去の前科を黙秘して執行猶予判決を受けたというだけの理由から猶予を取り消される訳であるから、憲法三八条の精神からも離れるというべきではあるまいか。
法廷で「何年間右刑の執行を猶予する」との言渡をした際、裁判官が正直に注意するなら、こういうことになろうか「当裁判所は被告人の過去に前科がないかどうかを調べた。被告人は前科について黙秘の自由を持つ。調べた結果被告人に前科はないと認めたから執行猶予をした次第である。とはいえ、この判決確定後でも万一猶予期間内に被告人の前科が発覚したら、如何に行状を謹んでも執行猶予は取り消される。」と。妙な裁判である。すなわち、刑法二六条三号は執行猶予制度上無意義不合理な規定であって、実は、猶予判決確定後、猶予期間内の被告人の行状若くは二号所定事由の発生を原因としてこの確定判決を取り消し得る規定があるのに便乗して、確定判決に(他の場合ならば大して問題とならない程度の)瑕疵あることを理由にこれを被告人の不利益に変更する裁判を求め得るものとし、被告人を再度危険に陥れることを許す規定である。この規定は、旧憲法時代に執行猶予制度に便乗して生れたのであるが、新憲法三九条の出現とともにもはや姿を消すべきであった。これが憲法同条に違反することはもはや明らかであろう。今日としては三号及び二六条ノ二第三号を死文と見て第一審公判の事実調の末段適時に前科の十分な証拠が裁判上に顕出されるようにし、それをしなかったのなら猶予取消決定を求めないことが、合憲であり可能であり旧時に優る好実例といえるのではなかろうか。以上の理由から本件執行猶予取消請求は棄却さるべきである。
裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。
抗告代理人弁護士広井淳の特別抗告理由第一点は、刑法二六条三号は憲法三九条に違反すると主張する。
多数意見は、右刑法二六条三号は適憲であることを前提としているものと思われるが、この点について明白な判示がないから、ここに補足する。
元来刑の執行猶予は、刑そのものではなく、刑の執行の条件に関する一の恩典であって、刑の執行猶予の制度それ自体を認めるか、また、如何なる内容の執行猶予の制度を認めるか、すなわち、如何なる要件があれば刑の執行を猶予するか、また、一定の事由があれば既に言渡した執行猶予を取消すか等すべて立法政策の問題であって、法律によって自由に定め得るところのものである。刑法二六条三号が、他の罪につき禁錮以上の刑に処せられたこと発覚したときは、既に言渡した執行猶予を取消すべき旨規定しているが、これは執行猶予を一種の解除条件付のものとして定めたものというべく、かかる法定の要件が具備すれば執行猶予が取消されることを、当初より予定しているものであって、かかる執行猶予の取消は、同一犯罪について重ねて刑罰を科するものではなく、また、確定判決の刑そのものを重く変更するものでもない。(このことは執行猶予を付さない有罪判決が、これを付した判決より、量刑において重く、被告人に不利益であると解することと抵触するものではない。)従って、かかる内容の執行猶予の制度を認めた右刑法二六条三号の規定は、毫も憲法三九条に違反するものではないから、所論違憲の主張は理由がない。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔)